1683年7月13日にウィーンを包囲したオスマン軍だが、最新の築城技術によって第一次包囲よりさらに頑丈になったウィーンを攻めあぐねた。何よりオスマンの武器である巨大砲を速く進軍させるために携えてこなかったのである。そのためトンネル掘りに頼らざるを得なかった。
9月12日、ヤン3世他のキリスト教連合軍が到着した。ポーランド軍3万、独墺軍4万人。ヤン3世は、奇襲あるのみと、その日の夕刻総攻撃を命じた。オスマンは長引く包囲で士気も低く、何より徴発された兵も多く、この戦いの意義はよくわかっていなかった。
ヤン3世とポーランド重装突撃騎兵「フサリア」3千騎は、まさしくショパンの「英雄ポロネーズ」に乗ったようにオスマン本陣めがめて突撃した。フサリアは馬上で戦う超長剣を装備し、何より自国で飼育したアラブ馬に乗っていた。何という皮肉だろう。
中央突破されたオスマンは指揮命令が完全に崩れ、士気の低い軍は一時間で敗走してしまった。ヤン3世は「「来た、見た、神は勝利した。」と言った。カラ・ムスタファは、ベオグラードに逃れ再起を図ったが、オスマン宮廷では、反対派は大宰相の責任を問う声が高く、12月25日、カラ・ムスタファは処刑された。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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