1678年ハンガリーはトランシルヴァニアで、「自由と正義のために」蜂起が起きた。裏で手をひいたのはフランス太陽王である。蜂起の指導者はケーシュマールク伯テケリ・イムレ@ルター派。テケリの軍はハンガリー東部から中部を制圧して優位に立った。
この2年前の76年、オスマンではキョプリュリュ家のカラ・ムスタファ・パシャが大宰相に就いた。カラはオスマンの領土を広げる野望に燃えていた。81年オスマンはテケリの反乱を支援して援軍を送り、ハンガリー王と認められ、テケリは貢納金を出すことを了承した。
83年7月、反乱蜂起は北西ハンガリーで始まると、テケリの要請に従い、遂にオスマンは15万の大軍を送る。ハンガリーなど目に入らず。目的は誰もなしえなかったウィーン陥落。オスマンは怒涛のようにオーストリアに侵入し、首都ウィーンに迫る。神聖ローマ皇帝レオポルド1世は一目散に脱出。
皇帝は、バイエルン公国のパッサウから諸国に救援を依頼した。しかしスペインはルイ14世の圧力で動けなかった。ウィーンを包囲したオスマンは、外からトンネルを掘り始める。この救援要請に応えたのが当時オスマンとウクライナをめぐって争っていたポーランド王ヤン3世である。
下は2014年の映画「神聖ローマ運命の日」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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