日本宣教50-島原の乱勃発

1637年12月11日、ついに島原、天草で大規模な一揆「島原の乱」が勃発した。島原藩主松倉重政はキリシタン迫害を強化した上、自分の野望のために重税をかけ、その上飢饉も重なった。キリスト教時代、飢饉のときは断食や祈りで乗り切っており、ここにきてキリシタン回帰が目立ってきた。

島原藩では警戒を強め、集会を行った2人を処刑、さらに解散させようとしたためついに蜂起が起きた。蜂起は前もって準備されていたようで、各村に代官、神官、僧侶を殺害せよとの触書が回り、あっという間に天草にも広がり大規模化。藩は鎮圧隊を出したが、寺社が焼かれる炎は海上からも見えた。

ここで一揆の総大将とされたのが、益田四郎いわゆる天草四郎時貞16歳。益田家は、小西行長の家臣で、浪人百姓をしており、四郎は長崎に出て学問を修め、キリスト教徒となった。四郎は一揆の前から、宣教師が予言した天使として噂が立っていたそうである。

一揆勢は、島原城を包囲、本渡合戦に勝利し、キリシタン迫害を行っていた背教者三宅重利を討ち取った。このとき四郎は白装束で、額に小さな十字架を立て、馬上で2人に従われていたという。その後富岡城を攻撃したが、十分な装備もなく、包囲を解いて、原城跡をめざした。

下は天草パールセンターの天草四郎像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。