1615年2月7日、ドミニコ会神父ニッコロ・ロリーニが、ガリレオに異端の疑いがあるとヴァチカンの検邪聖省に告発した。その根拠となったのが、ガリレオが弟子カステリに当てた手紙で、聖書の記述がコペルニクスの地動説でも解釈できると書いてあった。
当時手紙は学術文書と同じで、写しがあちこち出回った。まさかこれで告発されるとは思わなかったガリレオは周囲の反対を押し切ってフィレンツェからローマへ行った。枢機卿に本を献呈し、あちこちで反対者の真ん中で論議していたとのことである。
16年2月24日、審査委員会より太陽が動かず、地球が動いているという考えは神学に反しているという訓告が出た。そして26日、ペラルミーノ枢機卿の自宅にガリレオは呼び出される。教皇の決定は、コペルニクスの学説を真実として表明するのをやめよということだった。
しかし公証人の記録した文書では、ローディ検邪聖省総主任から、地動説の考えそのものを口頭であれ文書であれ広めることを禁止すると通達し、ガリレオは同意したと書かれている。この文書記録が後の裁判で、重要な役割を果たすのである。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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