ロシア帝国の道8-ロマノフ朝無印ゆえの誕生

1613年混乱のロシアでついにロマノフ王朝がスタートする。モスクワはポーランド軍が占領し、スモレンスクにはスェーデン軍、さらには南部はタタールと、ロシアは国家の体をなしていなかった。ポーランド王が自ら即位し、ロシアをカトリックに改宗させようとすると、民衆は反発し、11年第一次義勇軍が作られ鎮圧された。

しかし12年、ニジニ・ノブゴロドの肉屋クジマ・ミーニンが資金を集めて、第二次国民義勇軍が結成。ポサールスキー公を旗頭にしてモスクワ解放をめざす。8月18日に軍はモスクワに到着。補給を絶たれたポーランド軍はクレムリンに押し込められ、11月4日降伏、この日は国民団結の日とされている。

翌13年、国民会議が開かれ、新皇帝を選出することとなった。そしてここで選出されたのが当時16歳の会議にも出ていないミハイル・ロマロフだった。ロマノフ家は、リューリク朝の外戚であり、継承権も高く、ボリス・ゴドゥノフは真っ先に大逆罪の容疑で追放した。

ミハイルは後ろ盾もなく全くの無印、しかしその他はこの動乱時代にいろいろ汚れた経歴を持ち、救国の英雄ポサールスキー公は家格が低い上に、力がありすぎた。そこで何もなく、御しやすいと見てミハイルが選ばれたのである。ロマノフ家の出発は操り人形であった。

下はミハイル・ロマノフの戴冠

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。