1603年にイングランド王となったジェームス1世は、早急に宗教政策を明らかにせねばならなかった。なぜかといえば、それまで王だったスコットランドは長老派の影響が強く、おまけにあの悲劇のカトリック女王メアリ・スチュアートの息子でもあり、最初の議会演説で「母なるカトリック」と呼んだ。
しかし彼自身の思想は、1598年に「自由なる君主国の真の法」を著したように、王権は誰からも独立して至高という王権神授=絶対王政の考えだった。04年さっそく王はハンプトンコートに宗教界各派の代表を呼んで会議を開く。そしてその席で「主教なくして国王なし」と国教主義を宣言した。
エリザベスは、宗教的寛容主義をとり、国教主義はむしろ議会主導だったが、国王自らの宣言は、ピューリタンにもカトリックにも失望をもたらした。王は「服さないなら、もっと厳しい処置を取る」と会議で興奮して言ってしまった。
翌05年、カトリック過激派のロバート・ケイツビーらが、議事堂を爆破して国教徒、清教徒共々殺害するという計画を建てた。議事堂の地下貯蔵庫を借り、本当に火薬が36樽運びこまれたのである。そして議会開会当日、この陰謀は密告で露見し、全員処刑された。実行責任者だったガイ・フォークスは今でもこの日に人形を引き回されて焼かれる。英語で男をガイというのは実は彼のこと。
下はガイフォークスナイト
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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