ブルボン朝誕生1-パリはミサに値する

1589年8月2日、アンリ4世のブルボン朝が誕生した。後に栄華を極める王朝もこの時点では国土なき王である。カトリック同盟はシャルル10世を擁立し、頼りのはずの南仏ユグノー派は、この王がまたカトリックに改宗することを疑っていた。彼の味方はネーデルランドとイングランドだった。

9月、ノルマンディー征伐に出征したアンリ4世はアルクの戦いで、ギーズ公弟のマイエンヌ公に勝利、翌90年3月にもイブリーの戦いで決定的勝利を得、パリ包囲に移った。王は兵糧攻めを行い、パリは餓死者を出す凄惨な状態となった。しかし8月、ネーデルランド総督パルマ公が救援に入り、戦況は逆転。

ところが、カトリック側は5月に国王シャルル10世を亡くし、旗頭を欠く有様であった。戦況はまたもやこう着し、カトリックは93年、全国三部会をルーブル宮で開催、フェリペ2世は、娘イザベルを女王にしようと画策、それは実現寸前だった。ところがパリ高等法院がサリカ法をとってこれを否定した。

新旧双方の穏健派は、アンリ4世をカトリックに改宗させるしかないと悟った。7月25日朝8時、国王は衛兵のみを従えて王家のサン・ドニ大聖堂に現れ、待っていた大司教らがミサを行い、カトリックに改宗した。「パリはミサに値いする」と述べたと伝えられる。

下はアンリ4世の改宗

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。