日本宣教18-遣欧少年使節、欧州を歩く

1584年8月10日、天正遣欧使節の4人の少年がリスボンに到着した。まあその航海も嵐やら疫病やらで数十人の船員が亡くなっているので、並大抵のものではないのがわかる。11月25日はマドリードでフェリペ2世に謁見した。国王は、手に接吻しようとする彼らを立たせて抱擁したというから並の歓待ではない。インディオとは天地の差である。

翌3月2日にはトスカナ大公に謁見。舞踏会で美人の誉れ高い公妃に伊東マンショはダンスの相手をさせられ、恥ずかしさで一杯だったという。そして3月28日には遂にヴァチカンで教皇グレゴリオ13世に謁見、広場は一目見ようとごった返したらしい。

イエズス会より「幻の国日本は確かに存在し、アジアのどの国よりも優れている」と紹介があり、使節は九州大名からの書状を読みあげた。信長からは「安土城屏風」が贈られたが、これは残念ながら行方不明となっている。高齢の教皇は涙を浮かべ彼らを抱擁した。

彼らはさらにヴェネツィアやミラノなどを訪問し歓待を受けた。このとき、伊東マンショの肖像画が描かれ、アウグスティヌスでは新聞の一面を賑わせた。カトリックにとっては、絶好のアピールである。そして86年彼らは帰途についたが、日本で待っていたのはまるで反対の事態だった。

下はティントレットの息子ドメニコ作「伊藤マンショの肖像」

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。