最後の皇帝30-皇帝「本能寺の変」

1551年10月ザクセン候モーリッツと仏王アンリ2世の密約が成立した。まったくここまで何も知らないというならよほどボケていたのか信用しすぎたのか。翌52年3月、マグデブルクを片づけると、モーリッツは歩兵2万、騎兵5千を従え、皇帝のインスブルックめざして行軍を開始した。

ドイツ各地でこの軍は解放軍として迎えられ、アウグスブルクを開城させた。まあ日本でいえば「本能寺の変」というか、カール5世の軍はスペインに帰還させ、ハンガリー防衛につかせガラガラだったのだ。カールは皇弟フェルディナンドに仲裁を依頼した。

モーリッツは、休戦に応じるフリをして交渉に応じたが、終わってからは一気にエーレンベルク要塞を抜き、インスブルックに迫った。皇帝は「是非もなし」と館に火をかけ、ではない、宮廷を抜けだしわずかな人数でイタリアに落ち延びた。モーリッツは大魚を逃したがこだわることなく休戦交渉に戻った。

北では仏王アンリ2世がネーデルランドに侵攻、そして5月26日、フェルディナンドとモーリッツはパッサウで第2回休戦会議を開いた。オスマン防衛に気を取られるフェルディナンドは、信教の自由を認めた。そして皇帝は、最後の砦とネーデルランド防衛の陣頭指揮をとったが、要のメッツを奪還できず、失意のうちにブリュッセルへ行った。

下はインスブルック脱出

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。