1546年ミケランジェロにヴァチカンのサンピエトロ大聖堂の建築が命令された。当時彼は71歳でありさんざん断ったが結局教皇パウルス3世に押し切られた。宗教改革の発端となった大聖堂建築は一時期中断されたが、新教に対抗するためにも壮麗で圧倒的なシンボル欲しさに再開されたのである。
以前には「絵画は専門外」と言った男は、今度も就任するやさっそくちゃぶ台返し、それまでのサンガロの設計を覆し、シンプルな集中十字式にした。彼はこれで「工期が50年、コストが30万スクーディ節約できる」と言ったという。それは壮麗にしすぎて、問題の起点となったことへの批判といえる。
そして彼は現場では徹底的に汚職を許さなかった。このためコストは予想以上に落ち、建設はどんどんすすんでいった。日本の〇〇学園の建設などとは月とスッポンである。そして中心のドームを、故郷フィレンツェの「サンタマリアデルフィオーレ」の二重構造を採用するのである
1564年、ついにドームはその下部のドラムまで到達。2月2日ミケランジェロはピエタを彫る途中で倒れ、18日90歳目前で亡くなった。最後の詩には「人がいかに褒めたとて 絵画も彫刻も もう魂を鎮めてくれることはない 魂は 十字架の上に腕を広げた あの聖なる愛にすがるのみ」とある。遺作のピエタのイエスは力尽きて倒れ、それを母マリアが抱き留めている
下はロンダニーニのピエタ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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