皇帝カールは、トリエント公会議に新教側が来なかったことで、和解の機会は途絶えたと考えるようになった。もともと開催地は、イタリアに行きたくないという新教側の要求をきいてイタリアードイツの境であるトリエントにしたのだった。しかしこの日までに来たのは数名の枢機卿だけだった。
しかしともかくカトリック改革が始まり、反攻が行われようとしていた。教皇パウルス3世は、カールに多額の軍資金と1万人にのぼるイタリア傭兵を差し出した。対仏問題に決着をみたカールは、新教側諸侯の切り崩しにかかり、ブランシュバイク公を陣営に引き込んだ。
1546年7月、レーゲンスブルクで2組の華燭の典が行われた。一組はバイエルン公と皇帝の姪アンナとの結婚だった。彼女はもともとオルレアン公と婚約していたが、公が死んでこちらにまわった。いずれにせよオーストリアとバイエルンとは隣合わせで度々係争がある。ここで同盟は不可欠である。
アンナの妹マリアは、ネーデルランドのクレーフェ公国に嫁いだ。この地は北ドイツとオランダの境にあり戦略的要衝である。ちなみに「クレーブの奥方」という邦題の17世紀のベストセラー恋愛小説は、このクレーフェ公夫人が主人公である。皇帝の手は着実に伸びていた。
下は映画「クレーブの奥方」1961年版
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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