最後の皇帝17-帝国議会、新旧調停失敗

シリア攻撃をしなかったオバマは弱腰と批判された。カール5世も優柔不断といわれることがある。フランスに勝利して、ヴァチカンを従えて戴冠。ドイツの宗教問題も力で臨むべきか?皇帝はキリスト教が統一してオスマンに向かうべきという理想があった。ところがルター派は、オスマン侵攻は神の罰なので逆らってはいけないと言っていたのだ。

1529年のシュパイヤー帝国会議で新教の拡大に停止が決まり、これに反対する14都市と6名の諸侯が抗議書を提出「プロテスタント」の名はこのことに依っている。仕切り直しで30年、アウグスブルクで帝国会議をカールが開催し、ここに新教側から自分の立場を説明することを要請した。

新教諸派は自分の主張を出したが、ルター派はメランヒトンの手になる「アウグスブルク信仰告白」を提出した。ルター派思想の集約であるが、教皇問題は触れておらず、和解を図る意図があった。これに対し、旧教側は論駁を加えた。

メランヒトンも皇帝も、会議中にエラスムスに助言を求めた。ルターにボロクソに言われたエラスムスだが、その中庸こそ求められるものだった。皇帝カールは8月3日「コンフタチオ」という調停案を示し、教皇に公会議開催を要請した。しかし両派の確執は解決せず、公会議も決められず、結局会議は結論が出せないまま終了した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。