1528年4月6日、ニュルンベルクでアルブレヒト・デューラーは逝去した、57歳。この頃には名声はルネサンスの巨匠としてヨーロッパ中に広がっていたが、やはり絵画先進国のイタリアやブルゴーニュでの評価が圧倒的に高かった。絵もそちらのほうの貴族が買っていたようだ。
デューラーが亡くなったとき、ルターは手紙の中でデューラーの追悼を述べているが「キリスト教信仰に忠実な卓越した男」と書いており、芸術家としては触れていない。いかにもルターらしい。
しかしデューラーは、晩年の26年「梨を持つ聖母子」を描くのである、実はデューラーは聖母子は結構描いている。「梨を持つ聖母子」は1512年にすでに傑作が描かれていて、幼子イエスが梨を一切れ持っている。梨は聖ボナヴェントゥーラによれば知恵の象徴とのことだ。この絵は服装やポーズをみてもいかにもイタリアルネサンスの影響が濃い。
しかし最後の「梨を持つ聖母子」は、がっしりとした体格からしてもドイツの婦人を思わせる。ルターは信仰の模範としてマリアを崇敬した。デューラーの描くマリアは、子供に梨を与えて成長を願う母である。光背はないがその崇高さは伝わってくる。救世主は赤んぼとして生まれた。使命を果たす日まで育てたのはマリアである。
下左は1526年の梨を持つ聖母子右は1512年
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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