1503年3月にはダ・ヴィンチはチェーザレのもとを離れてフィレンツェに帰っていた。その頃にはミケランジェロのダヴィデ像はかなりできていた。ダ・ヴィンチはそれをスケッチしているのだが、わざとデフォルメしている。その頃の手記には「筋肉隆々たる裸体というよりむしろ一束のはつか大根」と書いているがこれは多分ダヴィデ像のことヒデエ。
ダ・ヴィンチは、ミケランジェロのダ・ヴィデは運動選手のように見えたかもしれない。ダ・ヴィンチの芸術観はあくまで背景の含めてトータルなこの世を表現するためであった。しかしフィレンツェ政府はダ・ヴィンチに対してピサ侵攻のためのアルノ川の改修計画を委託した、これはマキャベリ。
ダヴィデ像が完成すると設置場所が問題となった。ダ・ヴィンチも委員となり、芸術的価値を重んずる彼は室内を提案したが、政治の象徴としたい市=マキャベリは、市庁舎前にした。現代は市庁舎前にはレプリカが置かれている。
そして1503年末、マキャベリは市庁舎の大会議室の壁画をダ・ヴィンチに依頼した。「アンギアリの戦い」はフィレンツェのミラノに対する勝利の絵である。そして翌年今度は反対の壁にミケランジェロに「カッシーナの戦い」を依頼した。これはピサに対する勝利。史上最高に有名な天才の競作が始まるのだ・・・が。
下は描くはずだった「アンギアーリの戦い」のルーベンス模写
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント