百年戦争26-全土掌握、復権裁判開始!

さて追い込まれた英国では、和平派が台頭することになった。和平派はサフォーフ公、一方の主戦派にヨーク公がつき、ここで後の薔薇戦争の種が撒かれることとなった。和平派は仏王妃の娘とヘンリー6世との結婚を画策するが、回答はなんとワンランク下の姪であり、さらにメーヌを放棄することを条件とした。この結婚は翌年、主戦派に秘密の電撃結婚であった。

1445年、英王妃となったマーガレットは、サフォーク公に言われるがまま姉さん女房っぷりを発揮して、王を説き伏せ、主戦派のグロスター公を反逆罪で逮捕し、獄死させてしまった。ノルマンディーはもともと英国領地であり、手出しする理由に乏しい。ところが49年、英国側で働いていたアラゴン人の野武士フランソワが、領域を越えてフジェールに侵攻した。

それまでに強力な大砲と軍備を整えていた仏王がこのチャンスを逃すわけがない。ルーアンでも暴動が起き、11月にはルーアンに入城。もはや英国領は点在するのみとなってしまった。ヘンリー6世は、失地奪回のため、王冠の宝石まで質に入れて、援軍を上陸させ、一旦は勝利をした。が、リッシュモン元帥の援軍で1450年4月15日、フォルミニの戦いに仏国が勝ち、53年ボルドーを失い、大陸の領土を喪失した。

ジャンヌの予言はこれですべて実現した。ルーアンに入城したシャルル7世は、ジャンヌの加護を感じたか、神の罰を怖れたのか、2月15日側近に、ジャンヌ裁判の再調査を命令した。この手紙は、自分がジャンヌを見殺しにしたことは全く触れていないが、彼に罪の意識がなかったとはいえないだろう。一方英国は敗戦をめぐって内乱が勃発するのである。

下はフォルミニに立つジャンヌ・ダルク像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。