教皇が逝去したことで、新教皇をめぐってイタリア派とフランス派に分かれて混乱する。結局なんと枢機卿ではなかったプリニャーノがウルバヌス6世として教皇となったのである。しかしこれを認めないフランス派はアヴィニョンにクレメンス7世を擁立した、カタリナの予言通り「大シスマ」と呼ばれる教会分裂が起こったのである。
しかしウルバヌス6世は、6月18日、遂にフィレンツェに平和の使者を送った。町は喜びにあふれ、カタリナは「私の心は慰めに満ちています」と書き、自分の命を賭けた使命が終わったのを悟り、フィレンツェを立ち去って、シエナに戻った。
カタリナはその後167章から成る神学的大著「対話」を書きあげる。このことによって染物屋の娘は後に「教会博士」の称号を得るのである。カタリナはイエスを橋に例える。その橋は昇天後もまだ地上につながっている「いとしい子供たちよ、わたしはあなたがたに言いたい。橋の上を歩くがよい。」
彼女は新教皇にも助言し、仏王シャルル5世にも教会一致の手紙を書く。そしてローマ市民と教皇が対立したときは、教皇に寛容の手紙を書き、神にとりなしを祈った。彼女は最後まで教会一致に尽くしながら1380年4月29日、キリストや聖フランチェスコと同じく33歳で帰天した。
セビリアン・スコール作「聖カタリナの帰天」ちなみにカタリナは20数歳から常時断食状態で多分モデルのようにスリムだったと思われる
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント