シエナの聖女6-フィレンツェ八聖人戦争

タッグパートナーを失ったカタリナに、神は今度はリアルなパートナーをつけてくれた。1374年フィレンツェで、ドミニコ会総会のときに、彼女の指導司祭となるライモンド・ダ・カプア神父に会った。もうすぐこの2人によって教皇がローマに戻り、彼によってカタリナ伝が書かれることになる。

75年には、ピサの求めに応じて、その街に行きサンタ・マリア教会の隣の家に住み込んで、病人の治療や人々の声をきき、街の有力者の和解を仲介した。そして四旬節の「歓びの主日」、カプア神父のミサの途中、突如カタリナの手が広がり、そのまま倒れた。皆が駆け寄ると彼女の手足に聖フランチェスコと同じく聖痕が現れていたのである。

彼女は、教皇や枢機卿にローマへの帰還や教会の刷新を訴える手紙をピサから書いた。高位聖職者を「霊魂の寄生虫、吸血鬼」と強烈に批判している。一方ミラノの僭主バルナバ・ヴィスコンティにも、教皇に無暗に歯向かうことをやめるよう手紙を送っている。

75年、飢饉に対して教会領であるエミリアとロマーニャ州は穀物の移送を止めた。ところがこれを挑発と捉えたフィレンツェが戦争を仕掛けた。これは街のヘッドであった「八人委員会」から「八聖人戦争」と呼ばれる。この戦争は、クレシーの戦いで活躍した後、イタリアに流れたイングランド傭兵、ジョン・ホークウッドが仕掛けたともいわれている。

下は聖痕を受けるカタリナ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。