百年戦争6-カール4世の金印勅書

カール4世、教皇によって戴冠させられ、正帝が死んで棚ボタでなった皇帝。今更諸侯が言うことをきくはずがない。そしてペストで混乱した国に神聖ローマの権威もクソもない。しかし彼は、イタリア遠征で最先端の人文主義を学んだ知識人でもあった。過去の皇帝の夢をひきずる男ではなかった。

とりあえず皇帝は、領地ボヘミアにこもって基礎固めを行った。首都プラハを皇帝の都と宣言し、ここを東方のパリたらんと整備した。そしてまだ少なかった時代にプラハ大学を設立、後にプラハが文化都市として発展してゆくのもこの皇帝の力による。そして、ドイツで迫害にあったユダヤ人をボヘミアに呼びこむのである。

1354年、イタリア遠征を行い、ミラノでイタリア王として戴冠するが、イタリア諸都市への干渉はストップすると約束、55年4月5日ローマでようやく伝統的なサンピエトロ大聖堂で皇帝の戴冠を受ける。そしてアヴィニョンの教皇インノケンティウス6世と、教皇の皇帝への干渉をストップする協約を結んだ。懸案を次々と解決していく皇帝、しかしひきかえに皇帝の権威は次々になくしていく、もちろんその代わりにイタリア諸都市からがっぽり金はいただいた。

そして本邦というべきドイツには、1356年、有名な金印勅書を発布する。これは皇帝選挙の選出規約というもので、選挙資格を7つの選定候と定めた。同時に7選帝侯は、領土の王に等しき権利を有することとなり、以後ドイツは英仏と違い領邦国家の道をたどることとなった。しかしルールが確定され、皇帝が教皇による戴冠が必要なくなったことで、ドイツには平和がもたらされた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。