新王朝誕生4-カペー朝断絶ヴァロア家へ

さてフランスだが、フィリップ4世の後はカペー朝に短命王が続くのである、テンプル騎士団の呪いは本物かもしれない。1314年で王位についた息子ルイ10世は24歳、ところが2年後この若さで崩御してしまう。死因はワインの飲みすぎとか言われているが。そして子供は妊娠中で、11月に生まれた息子がジャン1世として即位するが、なんと1年で亡くなった。

そこでルイ10世の弟が、フィリップ5世として1317年に即位した。やはり短命王が続くと国は乱れ、フランドルで反乱が起きた。王は三部会を招集し、なんとか資金を支援してもらって一応乗り切るのである。しかしこの王もまた22年、30歳の若さで崩御する、そして王には娘だけで息子が居なかった。ということで、また弟、すなわちフィリップ4世の三男がシャルル4世として同年即位した。

シャルル4世は、イングランドの政情不安を見て、アキテーヌ領の没収を宣言、戦さ担当の叔父ヴァロア伯シャルルの助けで、戦闘を有利に運び、妹イザベラとフランスが有利な講和を結んだ。なかなかやるではないか。そしてイザベラを支援してイングランドに政変を起こさせた。しかし、なんと1328年、わずか6年の治世で彼も崩御するのである。

シャルル4世の息子は早く亡くなっていた。今度こそ息子もおらず、フィリップ4世の弟もいない。そこでこの間戦功のあったヴァロア伯の息子フィリップが1328年、フィリップ6世として即位。ここにカペー朝からヴァロア朝に王位が移ることとなった。しかし継承権なら実はイングランド王ももっている。このことがほどなく100年戦争を呼ぶこととなるのだった。

下はフィリップ6世

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。