教皇庁捕囚8-絵画の革命児ジョット

一方、ボニファティウス8世のおかげを受けた芸術家も居る、絵画の革命児ジョットである。ジョットは、ヴァザーリの述べるように、ヴィザンティン様式の画一的な表現を離れ、自在な立体的表現をつくりだし、その後の絵画の先駆をなした画家である。彼はこの教皇に招かれてローマに出て絵画表現を進化させるのである。これはフィリップ4世の教会課税対策として、この教皇が「聖年」をつくってローマに巡礼を拡大したおかげである。

ジョットは、絵画だけではなく、フィレンツェの有名な「ジョットの鐘楼」を設計したことでもわかる通り、ルネサンスの万能人の先駆けでもあった。ちなみにルネサンスを象徴する「花の聖母教会」の建設計画は1294年に始まっている。ルネサンスが突然花開いたのではなく、中世末期からの積み重ねがあってこそなのである。

彼は企業家でもあり、フィレンツェに工房を設け、弟子に大部分を描かせて自分は最終に加筆するという分業を行って絵画を大量生産した。また機織り機を何台も買い入れて、120%の高利で職人に貸出し、払えないとなれば容赦なく取り立てた人でもある。あの美しく敬虔な絵を描いた画家とはとても思えないが、彼の中では現世利益OKなのだろう。

またジョットは、パドヴァの高利貸しのエンリコ・スクロヴェーニの注文で傑作「キリストの生涯」の連作を描いているが、このご仁も、ダンテの神曲では高利貸しの地獄に叩き落とされている。芸術家の地獄はないのでジョットが叩き落とされることはなかったが、まさに対照的な2人である。

下は高利貸しスクロヴェーニ礼拝堂

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。