教皇庁捕囚4-モンゴルのイスラム改宗

1290年、エジプトのマムルーク朝で十字軍国家を滅亡させたカラウーンが崩御し、その後国は混乱して欧州侵攻どころではなくなった。1310年にようやく再建された国家は、イルハン国と平和条約を結び、文化国家へと転身し、その後イスラムの盟主としてエジプトを中心にイスラム文化の華を咲かせることとなった。

イスラムに転換したモンゴルのイルハン国は、14世紀初頭に最盛期を迎えた。スルターニーヤに巨大な王宮を建設して首都とし、イスラム文化の編纂を行った。しかし1316年に即位したアブー・サーイードには息子がなく、彼が暗殺されると、国は混乱し、さまざまな部族小国に解体してしまう。モンゴルのイスラム支配はここに終わった。

それに比べ、北のキプチャクハン国は、故国と近く、ここも結局イスラム化されて、16世紀まで長らえた。長いモンゴル支配は「タタールの頸木」と言われたが、その理由は本拠と支配地の適度な距離に起因するようだ。

そしていよいよトルコで、イスラムのニューウェーブが芽吹き始める。小アジアでは、ビザンティンの力が弱まり、ガーズィーと呼ばれるトルコ系戦士族が出き、その中のオスマンが勢力を増した。さらにこの地方を守ってきたキリスト教の戦士族もビザンティンから免税がなくなったことで、オスマン側につき、勢力を拡大した。オスマンが最初から純イスラムでなかったことはその後の性格をつくることとなった。

アラビアンナイトのようなスルターニーヤの夜景

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。