第8回十字軍2-対モンゴルの盟主ルイ

シリア、パレスチナに進撃したモンゴルはついに1260年アレッポを陥落させた。この指揮をとったのがネストリウス派(景教)のキブカである。ヤコブ派キリスト教徒はいち早く降伏、イラン占領以来シーア派もモンゴルに従軍しているので、シーア派教徒も保護され、スンニ派は略奪された。モンゴルの征服でも実に宗教がついてまわっている。

続いて侵攻したダマスカスでは、スルタン、アル・ナシルが無抵抗で降伏したので、略奪を免れた。キリスト教徒はモンゴルの侵攻を歓迎し、ダマスカスのモスクがキリスト教会に衣替えした。アル・ナシルは「エジプト攻めに協力すればダマスカスを返してやる」と言われてつき従うことになった。ここにシリアまでモンゴルの手は伸びたのである。

十字軍国家は、モンゴル恭順派と交戦派に分かれ、ローマ教皇やフランスに援助を請願した。しかし中東だけではなく、東方からもモンゴルの脅威がヨーロッパに迫っていた。キプチャクハン国ベルケは、ロシアを席巻し、ポーランドのクラコフを焼き払い、ハンガリーに再度迫っていた。頼るはずのドイツは混乱状態だったのだ。

北ではドイツの混乱にチャンスとばかり、リトアニア王ミンドウガスが、ドゥルベの戦いでチュートン騎士団に勝利し、ロシアの独立派アレクサンドル・ネフスキーと同盟を組んだ。欧州の盟主はルイ9世となり、パリに諸侯が集まり、対モンゴル統一戦線を組むこととなった。ヨーロッパにとってモンゴルは黙示録の地獄の戦士ゴク、マゴクであった。

下はポーランドで教会を略奪するキプチャク軍

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。