世界大戦へ18-モロッコ危機再び

1911年アフリカではさらに第二次モロッコ事件が勃発していた。これは現地ベルベグ人の大反乱に、フランスが鎮圧に出兵したところ、ドイツも現地自国民保護と称して軍艦を派遣したのだ、しかし実際現地ドイツ人はおらず口実にすぎない、フランスはイギリスにも軍艦派遣を要請した。

欧州大戦の危機にベルリン証券取引所はパニックとなる。ドイツも戦争する気はなく、フランスをゆすって他の植民地を獲得しようという思惑だった。今の北朝鮮のような瀬戸際外交である、かつてはドイツもそんなことをやったのだ、ところがイギリス首相ロイドジョージは「フランスがドイツに攻められれば座視しない」と強硬姿勢を見せた。

ドイツは、フランスのモロッコに関する協定違反をとがめただけだ、と姿勢を軟化させ、フランスと交渉に入り、モロッコに対する権利をあきらめるかわりにフランスのカメルーン植民地を少し分けてもらった。

しかしこのモロッコ事件の結果、英仏はますます連携を強化して軍事協定を締結するまでになる。ドイツの瀬戸際外交は失敗した。この件では皇帝ヴィルヘルム2世は消極的だったが、ドイツの世論は皇帝を「臆病ヴィルヘルム」と呼んだ、皇帝一人ではなく、ドイツも好戦的となっていたのである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。