1245年6月28日、わずか150人の出席でリヨン公会議は開催された。十字軍の派遣という重要議題があったものの、主要議題は皇帝フリードリヒ2世ことフェデリコの廃位であった。7月5日、いよいよ弁論が行われ、3名の司教から皇帝を主にイスラムに染まっているということで告発。これに対し皇帝側から反論したがまあ結論は決まっていた。
7月17日、教皇インノケンティウス4世は、皇帝フェデリコの廃位を宣告した。そして次期皇帝を選出すると。これに対しフェデリコは、皇帝も教皇も神によって選ばれたという二剣論をもって、各王諸侯に手紙を書いた。
仏王ルイ9世は、教皇と皇帝の仲をとりもつべく、11月母と王妃、アラゴン王、カスティーリア王と共に、クリュニー修道院の教皇のもとを訪ねた。しかし教皇は、何とシチリアを弟にやると言ったのだ。このときは、聖王はきっぱり断るが、結局それは実現する。
教皇は、ドイツで対立王を擁立し、シチリアのお膝元でもクーデターを煽った。もはや手に負えぬと、ルイ9世はあきらめ、自分は十字軍に向かうことにした。仏王はこれまでも皇帝に捕えられた聖職者の解放に助力し、その返礼はフェデリコがすることになる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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