第6回十字軍19-蒙古襲来と英雄ネフスキー

1240年恐怖の大王が降りて来た、モンゴルの襲来である。中央アジアの遊牧民族を統一し、軍事組織に変えたモンゴル帝国は東西に侵略を開始。1235年に西方司令官となったバトゥは、ロシアに侵攻し、1240年キエフを占領した。ここにルーシの起源というべきキエフ公国は完全に消滅する。翌年からポーランドを蹂躙し、南下してハンガリーを狙った。

ハンガリー王ベラ4世は逃亡し、臣下につくとしてフリードリヒ2世を頼ったが、あいにくイタリアでとりこみ中だった。とりあえず息子コンラートを行かせたが、1241年4月ワールシュタットの戦いで完敗。モンゴルはさらに南下してウィーンを狙ったが、1242年に大ハーンオゴダイが死去し、次の大ハーン選出のため帰郷したため、危うく難を逃れた。

この機を利用して動き出したのが北方十字軍である。1222年ホノリウス3世は、ギリシャ正教に帰依したロシアに対して十字軍を提唱していた。ドイツ騎士修道会は、1242年エストニアを越えてロシアのノブゴロド公の領地に踏みこんだ。ここで対したのがノブゴロド公アレクサンドルである。彼は1420年、ネヴァ川の戦いでスウェーデンを破り、ネフスキーという称号で呼ばれていた。

4月2日、両軍は凍ったチュード湖で対決し、ネフスキーはドイツ軍を撃退した。この勝利によってノブゴロドの領土は守られ、その後モンゴルに臣従するも破壊は免れ、キエフに代わって北部ロシアが本流となった。救国の英雄ネフスキーは、ロシア正教の聖人になり、エイゼンシュタインが映画で描いている。

下はエイゼンシュタインの映画チュード湖の戦い

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。