第6回十字軍16-皇帝をフった聖女クララへ

フランチェスコが帰天した後もクララは彼の意志を受け継ぎ清貧を貫いた。教皇グレゴリウス9世は、この危険に満ちた現世で、女子修道院が最低限の寄進されたものの所有を許可すると言ったが、彼女はこう言った「聖なる父、私はキリストに従うことから免除されることなど決して望みません」。

1230年頃、一人の女性がクララの修道会に入った。名はアネシュカ・チェスカー、ボヘミア王の娘。父王は娘のよい縁談を求めて奔走した。最初の相手は皇帝フェデリコの息子ハインリヒ7世だったが破談となった。次に相手に選んだのが英王ヘンリー3世。

ところがこの縁談を壊してしまったのが、皇帝フェデリコ、なんと息子の縁談のときに自分が見染めてしまったのだ。そして28年に皇后ヨランドを亡くした皇帝は自ら求婚してきた。まあ彼は公然と愛妾を持つ多妻主義者、「このスケベオヤジ」と言ったか定かではないが、拒否って修道院に入った。

アネシュカはアグネスの霊名を得て、32年にプラハに修道院を建て、一生を病人のために捧げ、プラハの聖アグネスとして死後列聖された。クララは、度々彼女に手紙を送って励ましたが「あなたは皇帝さえふって、イエス様の花嫁になられたんだからね、自信もちなさいよ」とか言っている。

下は病人を看護するボヘミアの聖アグネス

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。