第6回十字軍15-皇帝フェデリコの息子反乱

教皇と休戦して一息ついたフリードリヒ2世は、本格的に南イタリアで中央集権国家の設立に入った。国の法律であるメルフィ憲章の仕上げに法律家と共に入り、1231年「皇帝の書」を公布した。この国は自分を中心とした法治国家であるという宣言であった。

ところがほったらかしのドイツで陰謀が進んでいた。息子ハインリヒ7世。1220年に9歳でドイツ王になった子にはケルン大司教という後見役をつけていた。だが1225年、この大司教はドイツ諸侯の手によって暗殺される。その後可哀想な息子は、ドイツ諸侯によっていろいろ入れ知恵されてゆくのである。

メルフィ憲章ができた1232年、皇帝は帝国会議を招集する。息子21歳、もう一人前と思ったのだろう、彼は息子の王としての問題を叱責した。まあこれまで一人で勝手にやってきた父を息子が理解できるわけがない。ドイツに帰った息子はますます父に逆らうようになる。そこに教皇と、北イタリア諸都市「ロンバルディア連合」も加わった。

1234年、息子は父に公然と反旗を翻し、ドイツへの道をロンバルディア連合が遮断した。皇帝はアルプスを迂回してドイツに入り、息子を罷免し幽閉した。その6年後、息子は馬で崖に身を躍らせ自殺した。さすがにこの出来事は彼にも堪え、新ドイツ王にした次男コンラートにはこまめに手紙を送ってケアをした。隣国のフランスは、南仏を統一し、強国になろうとしている。皇帝は北イタリアとの対決を決意した。

下は自殺するハインリヒ7世左は皇帝フリードリヒ2世

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。