ロマン派以後9-世紀末のクリムト

1897年、新しい芸術団体「ウィーン分離派」が結成された。オーストリアは近代化が進んでいたが、そのトップには貴族が居座り、若手は苛立った。そして分離派の会長がグスタフ・クリムトである。彼はウィーン大学の天井画を依頼されて制作したが、その絵は骸骨やヌードがあり、批判にさらされた。

そして新しい芸術家達はアカデミックな芸術と「分離」を宣言したのである。クリムトは分離派となってから、日本の琳派の影響を自由に表現し、華麗で装飾的で官能的な絵画を描いた。もともと今日を楽しむのが好きなウィーン子は共感を持ち、パトロンに恵まれてまさに黄金時代となっていく。

彼が描くのは古典的な永遠の姿ではなく、現実の生の姿である。ニーチェは「神は死んだ」と宣言したが、永遠がなくなれば現実の生の悦び、官能が永遠になる。近代の入り口でもドン・ジョヴァンニが、保守的な宗教に反抗して、官能を永遠のものだと宣言した。

そして永遠がなくなれば、生は死と直結し、その死の恐怖や魅惑が新しく解釈されて追求される。マーラーは永遠と現世の悦びを行ったり来たりして作曲した。啓蒙主義は神に代わって理性を永遠化したが、それは貧富の差を拡大するだけだった。近代の終焉が始まろうとしている。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。