1118年5月24日、十字軍はナイル川河口のダミエッタの西側の城塞に攻撃を開始した。スルタン、アル・アーディルは「ウッソピョーン」という気持ちだった。なんでこっちへ来るんだよ。この城塞攻撃に3カ月を費やしたが優勢な海軍力で船2槽をくっつけて攻城塔を建てて落城させた。
この敗北に衝撃を受けたスルタンは心臓発作で亡くなってしまった。スルタンの崩御は落城以上のショックで、アイユーブ朝は統率がとれなくなった。カイロでクーデターがあり、後を継いだ息子アル・カーミルは敵を放り出して帰らざるを得なかった。しかし市の城壁は堅固でなかなか落ちない。
しかもナイルデルタが強風で氾濫し、両軍共に水浸し。後には疫病が発生した。翌年になれば、今度はナイルの水位が十分でなく、凶作となった。両軍共に腹が減って戦さができない。十字軍側でも、エルサレム王の指揮に教皇代理のペラーヨがつっこんできて、リーダーシップがとれない。
そんなとき、イスラム側から思ってもない講和話が提案された。何と聖地エルサレムと真の十字架を返還するというのだ、さらにエルサレム城壁も直してやろうという。棚からボタ餅!エルサレム王などは賛成するのだが、ペラーヨが反対してこれまた膠着状態が続く。
下はダミエッタを攻撃する十字軍
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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