印象派革命10-ゴッホは自殺したのか?

1890年7月29日画家ゴッホが逝去した。死因はピストルの弾が胸部に入ったことによる失血死である。自殺というのが通説であり、ゴッホの激しい生涯と共に、ゴッホのPRとなっている。動機というのは弟テオとの関係で、テオが結婚し独立を考えて、金銭援助が打ち切られると不安に思ったというのである。

ゴッホはテオに「気兼ねなく極度の悲しみと孤独を表現しようと努めた」3点の麦畑の絵のことを手紙に書いている。その1点が「烏の居る麦畑」である。後期のゴッホは風景を描きながら自分の心象を込めて創作するようになっていく。後の表現主義につながるがそもそも絵画というのは主観なしには成り立たない。しかし同時期生命力に溢れた木の根も描いている。

しかし他殺説も最近有力となっている。ゴッホはこの地で少年2人と親交があったが、うち1人が古いピストルを持っており、それが誤射。ゴッホは彼らの将来のためにそれを黙したというのである。ゴッホはうまくいかなかったが、いつも人のために生きようとしてきた、最後にそれを叶えたともいえる。

ゴーギャンは、当時タヒチに渡る直前だった。ゴッホの絵もゴーギャンのタヒチの絵も後に西洋絵画に新しい方向を与えたとして有名になるが、生前には売れなかった。ゴッホは生前に売れた絵は1枚だけだったし、ゴーギャンの遺産は4千フランだった。現在2人の絵は天文学的価格となっている。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。