神の貧者達10-新修道会公会議で旗揚げへ

ドミニコとフランチェスコもラテラン公会議に出席した。双方とも目的が違っていて、さすがインテリ、ドミニコのほうがしっかりしていた、彼は「説教修道会」の設立の願いを出したのである。教皇インノケンティウス3世は異端や異教徒とは、武力ではなく、霊的戦いが重要と認識していた。

中世はいよいよ成熟期に入りつつあった。各地で中世都市が出て、都市住民は知識を求めていた。大学もできつつあった。これまでのように「ありがたやありがたや」ではなくなってきつつあったのだ。十字軍の遠征で、イスラムを通じてギリシャ哲学も入っていた。

しかし説教は司教の職務である。勝手に説教師が入ってこられてはたまらない。教皇はここで司教達に説教師を増やす決議を通した。同時に、司教達を安心させるために、ドミニコ会、フランチェスコ会を、これまでの修道会のように規則をもった一つの修道会とすることを決めた。

この時点でドミニコ会は15人、フランチェスコ会は14、5人である。聖職者プロのドミニコはその後話し合って、アウグスティヌスの戒律を導入する。フランチェスコといえば、クララの女子会を認めてもらったのだが、皆ドシロウト、しかも規則とは無縁のものばかりで苦労することになる。

下はラテラン公会議で教皇の前に立つ聖ドミニコとフランチェスコ。この時点で両名が会っていた可能性は低い

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。