教皇インノケンティウス3世、若くバリバリで、神の国の夢を持っていたこの人は、「十字軍」を対イスラムで留めない。すべての異教徒を改宗させる軍に拡大してしまう。1199年、聖地への第4次十字軍と同時に、今で言うバルト3国地域、東バルト海への「バルト十字軍」を承認し、聖地攻略と同様に赦免を行うとした。
この地は、ドイツにとっても食糧や原料の重要な産地であり、そこを手中に収める経済的利益が狙いであった。今日でも、「民主主義の拡大」とかいいながら、それを唱えて行く所は、石油の大産地であったりする。そして「民主主義政権」の基では、決まって欧米企業がその利益に与ったりするのはよくある話。過去は酷いとかあまり言えないのだ。
1199年、ブクスヘーフデンのアルベルトが司教に任命され、彼は翌1200年に今のラトビアの首都リガに到着し、リヴォアニア人の長老達を宴会と言って呼びよせて閉じ込め、強制的に平和協約を結んだ。そしてここに要塞都市をつくり、バルト攻略の起点とした。結果的にリガは大河の河口であり、良港をもっており、ハンザ同盟の都市としてその後繁栄をすることになる。
アルベルトは、リガを守るために常設の修道騎士団を設立した。「刀剣騎士修道会」であり、騎士達は独身、清貧、服従の誓いをさせた。中東のテンプル騎士団の目的は聖地の解放であって異教徒の改宗ではなかった。こちらの騎士団は異教徒の改宗を目的としたのである。
下はリヴォアニア刀剣騎士修道会
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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