1873年ウィーン万博が開催された。普墺戦争に敗北し、ドイツ統一からはじかれたが、墺皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は内政工業化をすすめ、年間成長率は2ケタを記録した。そしてパリにならって都市大改造を行う、かつての城壁の跡は、大きな環状道路「リングシュトラーセ」となり、国立オペラ劇場が建設された。
ウィーン万博でもメインは鋳鉄製ドームの産業館であり、2重帝国にふさわしく、ハンガリー他東欧の産品が展示された。最終的に延べ700万人が入場したが、収支は赤字だった。そしてアジアアフリカの産品も展示されたが、日本が公式的に参加した万博としても位置付けられる。
オーストラリア日本公使のシーボルトは、日本の繊細な美術工芸品を展示するべきだと助言した。そこで浮世絵、錦絵をはじめ薩摩焼、仏像はもとより国宝級の美術品まで展示、また1300坪の敷地に日本庭園と神社をつくり、鎌倉大仏や五重塔のミニチュアまで展示したのである。
日本庭園は大人気となり、展示物も飛ぶように売れた。そしてジャポニズムがヨーロッパに開花する。フランスはもとより、オーストリアでもクリムトなどが影響を受けて独自の文様的絵画を生み出すこととなった。またその後、日本の外貨獲得に貢献することになる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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