第4回十字軍6-最初の脱線ハンガリー侵攻

1202年夏、十字軍兵士がヴェネツィアに集まり始めると、費用が当初見積もりを大幅に上回ることが明白となった。足止めを食らってイライラする十字軍に対して、ヴェネツィア側は、「ちょっとハンガリーのザーラを攻撃して分捕ってこいや」と提案するのである。実はザーラは地中海貿易の中継地点であり、ハンガリーがヴェネツィアとケンカして使えなくなっていたのだ。

「いや、趣旨違うんじゃね?」ところが、このとき司令官であったモンフェラート候ボニファティオの妻の父は、当時のビザンチン皇帝に目を抉られて追い出された元皇帝なのだ。その息子は西欧に来てさんざんビザンチンを罵倒していた。このときビザンチン攻撃まで計画していたかは定かではないが、ともかく心理的バリアーはなかった。

ということで、ザーラ攻撃が決まった。さすがに離脱する兵士も多かったが、ヴェネツィア元首(ドージェ)直々に参加して、命令を出した。ああもう何でもありね。「おいおいなぜ十字軍が来るんだよ」と慌ててる間に、5日でザーラは陥落した。教皇インノケンティウスはさすがに怒り、教唆したヴェネツィアを破門に処したが、現世利得に染まりまくってる街は屁とも思わない。

教皇は、「次は真っ当なことやれよ」と言って、街への破門を解除。しかしこの準備中にアクシデントが起こる、いやすべて計画だったかもしれない。廃位された前皇帝の息子が訪ねて来たのだ、しかも神聖ローマ皇帝がOKしたという推薦状を持って。「ビザンチンを攻めてください」と涙ながらに訴えた。

下は十字軍のザーラ侵攻

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。