第4回十字軍3シチリアの天才児フェデリコ

教皇インノケンティウス3世は、座についた1198年にシチリアを得た。86年ノルマン朝シチリアの継承者であったコンスタンツァは神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世と結婚、それを名目に皇帝は94年にパレルモを制圧した。ところが97年に若干36歳で皇帝が崩御するや内乱となった。

女王コンスタンツァは、教皇を頼り、98年こちらも皇帝位を争うシュバーヴェン公フィリップをローマ王にする交換条件として、コンスタンツァを承認させ、教皇が後見することとなった。同年コンスタンツァは息子を残して亡くなった。シチリア王についたこの息子こそ後の皇帝フリードリヒ2世(フェデリコ)である。

教皇はこの子を教皇に忠誠を誓うよう育てて皇帝にしようと、最高の家庭教師団件顧問団を送りこんだ。ところが4歳の子は天才で、もうラテン語を読み、哲学と歴史を学んでいた。そしてまた家庭教師もキリスト教よりもローマ古典の専門家だったのだ。もともとシチリアは、古代からの遺跡が残るうえに、ノルマンはおろかイスラムまで居る。

この天才児は、多文化風土に加え、ドイツ人、教皇派、ノルマン人が隠然と争う宮廷の中で育ち、固定観念をもたない人間、さらに言えばハムレットのような懐疑派となっていく。彼を「最初の近代人」と評価したのは、歴史学者ブルクハルトである。

下はフリードリヒ2世の誕生。40歳の高齢出産のため、自分の子の証明のため市民監視のもとで出産したという

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。