第3回十字軍11-川中島の決戦INパレスチナ

サラディンにとってティロスに続き、アッコで2連敗。しかも非情なリチャードはサラディンが交渉を長引かすと、あっさり城の守備兵を惨殺した。サラディン神話のピンチ。しかしリチャードにしても、フィリップの帰国は内心穏やかではなかったようだ。さらに現実的にエルサレムを取って守れる力もない。

リチャードは海からの応援がきくヤッファ(現テルアビブ)に向けて進んだ。また海岸沿いを行軍すれば、イスラムの襲撃は片側だけになり、船からの応援や補給が効く。サラディンがエルサレム攻略と勝手が違ったのは、英王が有能な戦士であることに加えて、イスラムに慣れた騎士団そしてバリアン・イベリンも居た。

1191年9月7日サラディンは、アルスーフの直前で、林に隠しておいた騎兵を出動、前後から挟み撃ちにしようとした。十字軍2万に対しイスラム5万でその余力はあった。前方の敵には対応できるが、後衛は不利で、犠牲者を出した。後衛の聖ヨハネ騎士団は、たまらずリチャードの命令無視で攻撃に転じた。

一瞬の判断でリチャードも反転して突進、それに全軍が倣った。ちょうど川中島の謙信のようであり、前に回ったイスラムは屈強のテンプル騎士団が食い止めた。この突進力に後方は持ちこたえず、イスラムは崩れて、サラディンの本陣まで林に戻ってしまった。サラディンの敗北。リチャードが「ライオンハート」の異名を取るのはこの戦いからある

下はアルスーフの戦いで突進するリチャード

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。