新たに長男となったリチャードはマザコンで実に父ヘンリーとソリが悪い。1183年父はリチャードに、「共同王にするからアキテーヌをジョン(失地王)に譲れ」と言うが、聞き入れるはずもない。翌84年に会議が行われ、王妃アリエノールも出席した。62歳の彼女は王よりも若く美しかったという。
王妃はもちろんリチャードの味方。英国跡目問題はなかなか決着がつかず、それを見逃す仏王フィリップではない。なんつっても主君なのだ。89年仏王が出席した会議で、リチャードは仏王に膝まづき、彼より王位継承の命を受けたのである。立場は逆転、従わない父は朝敵となってしまった。
リチャードと仏王の連合は、大陸領土を攻めて奪っていった。シノン城に立て篭もった父ヘンリーは、敵連合軍の名簿の中に何と最愛の息子ジョンの名を見た。ついに心が折れた英王は病に倒れ、程なく崩御した。最期を看取ったのは庶子ジョフロア他わずかだった。
同年9月3日、ウェストミンスター大聖堂で獅子心王リチャード1世の戴冠式が行われ、その準備一切は解放された67歳の母が仕切った。翌90年英王と仏王は、第3回十字軍のための同盟を組む。アリエノールの長年の理想はここに実現したかに見えた。
下はウェストミンスター大聖堂のリチャード1世像
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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