ボードワン4世は最後の力で死後の手をうった。ボードワン5世の摂政に賢明なトリポリ伯レイモン3世とバリアン・イベリンを任命、宰相であったグリエルモにローマへ十字軍を要請に行かせた。しかし5世が8歳で亡くなってはどうしようもない。
そしてこういうとき跳ね上がりが出てくるのは世の常。ルノー・ド・シャティオン、この男はアンティオキアを追放されてからエルサレムに渡り、武勇があるので要衝カラクとシャウバクを任されていたが、度々休戦協定違反をして、イスラムを襲撃した。サラディンは怒り、カラク城を包囲するが、天然の要害に加え、ボードワン4世も仕方なく援軍を出した。
5世の死後、その母で4世の姉シビーユが女王となり、夫ギー・ド・リュジニャンが実質の王。ルノーはギーに近寄り、和平派のレーモン3世を遠ざけ、1187年、イスラム商人を略奪した。サラディンは怒り心頭に発し、「ルノーと戦い、きっと彼を殺してやる」と誓った。
1186年、モスルの領主がサラディンの覇権を承認し、イスラムの統一が実現した。サラディンを止める者は居なくなっていた。サラディンは聖戦を宣言し、カラクへ進軍した。シリア各地から続々と援軍がかけつけ、総数は3万人にものぼった。サラディンは、ティベリアスの街を襲い、トリポリ伯レーモン3世の妻を城塞に孤立させた。いよいよ決戦の時期が来ようとしていた。
下は映画「キングダム オブ ヘブン」より死の床のボードワン4世。まさに神演で、ボードワン4世の巡礼でエルサレムへ行った人も居るようだ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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