帝国の時代36-パリ万博とジャポニズム

パリ万博は、初めて日本が参加した万博である。日本だけではなく中国にも要請したが、清朝は戦争をした経緯から断った。将軍となった徳川慶喜は、幕府改革のパートナーをフランスにして造船所や鉄工所も造らせていた。1866年にフランスからの要請が来て、この準備随員として渡欧したのが渋沢栄一である。

幕府は、対外貿易独占の批判に答えるべく、諸藩にもあくまで幕府の中で万博出品を解放した。諸藩からは佐賀藩と薩摩藩が応じたが、最初薩摩藩は琉球の名を借りて独立出品を策図し、幕府が抗議したが結局2藩はイギリスの支援で独立出品を成功させ、幕府の狙いを失敗させた。

幕府は武者人形や数寄屋造り建築で日本を紹介、佐賀藩は陶磁器や和紙、薩摩は薩摩焼や絹織物を展示して、何と日本が国としてグランプリに輝くことになった。そしてこれを契機として、フランスを中心にジャポニズムが席巻していくことになる。

この展示品審査を担当したギシャールは、実はフランス製品の国際競争力を高めるために設立された産業応用美術中央連合の会長だった。彼はフランス製品はルネサンス時代から基本的に変わらないとして、ルソーのように「自然に学べ」と言い出したのだ。西洋様式のシンメトリーから脱するために、日本の絵や陶器の非対称が模範とされたのだ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。