長崎では1862年より大浦天主堂の建設が進められ、この年日本で殉教した26聖人が列聖され、この教会はその聖人を記念する聖堂なのである。この教会を建てたのは日本の大工で、最初は木造建築。ゴシック風の天井は竹のしなりを利用し、漆喰でつくるなど和風建築の技術が生きている
天主堂は外国人居留者のためであり、日本人は入れないはずだったが、珍しい「ふらんす寺」を見たい日本人にプティジャン神父は見せていた。彼は禁教の日本でも未だキリスト教信徒が残っているのではないか、と期待をかけていた。そして65年3月17日、祭壇の前に祈っている神父に声がかかった。
「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」女性は「サンタマリアの御像はどこ?」と言った。入ってきた日本人は15人ほどで皆浦上村の者だと名乗った。プティジャンはこの「信徒発見」を詳細に手紙にしたため、それはすぐヴァチカンの教皇ピウス9世に伝えられ、ヨーロッパで大ニュースとなった。
2018年、大浦天主堂などが世界遺産に認定されたが、最初の申請はキリスト教建築としてだった。ところがユネスコの委員は、禁教時代にかくれキリシタンとして生きた歴史こそが世界遺産にふさわしいと考えた。そこで潜伏キリシタン関連遺産として申請しなおしたのだが、キリスト教世界の驚きは今も生きている。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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