ナポレオン3世は1860年代から穏健化して「自由帝政」を始め、議会の権限を拡大する。このことはタイムス紙も「全く予想外」と驚いた。「帝国は平和」という言葉を自ら示し、経済発展を自らの支持基盤としようと思う。さらに穏健な労働運動も育て、労使の調停者としての皇帝の基盤を作るねらいがあった。
1862年5月1日から半年間第二回ロンドン万国博覧会が開催された。この博覧会には36カ国が参加し、写真技術や冷蔵庫などの先進技術も展示された。が、イギリスのアジア植民地の文物も展示された。日本からも7名の遣欧使節団が参加し、次の万博での参加につながったいく。
この博覧会になんと300名の仏労働者代表、12名の独労働者代表が参加した。フランス大代表の派遣費用を出したのは仏皇帝である。ナポレオン3世は、イギリスの穏健な議会主義的労働運動を学んでほしいと思った。しかしここで英仏両国の労働者代表の話し合いから第一次インターナショナルが生まれる。
仏労働者代表は帰国後、なんと政府費用で英仏の労働条件の比較を出版し、それをもとに62年から労働争議が頻発することになる。仏皇帝は、これに寛大な態度で恩赦を与えたりして激励した。そして63年64年の選挙では労働者代表が議席を持ち、64年団結権とストライキ権が認められた。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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