ボードワンは、まさに乾坤一擲!馬から降り、真の十字架を掲げさせて落涙して祈った後、自ら病身で先頭に立って突撃したと伝えられる。ボードワンの気迫は十字軍を奮い立たせ、300人の騎馬突撃でサラディンの大軍を破ったのだ。本隊だけといっても1万人以上居る。しかしサラディンも逃げるだけで必死だった。
「たいしたことない、たいしたことない」とサラディンは思わぬ不覚が広がらぬようPRした。そして周囲には「ジハードやるから!」、実際この1敗で、サラディンはエルサレム奪回をし、イスラム統一に踏み込むこととなった。翌1178年には、再びシリアに侵攻し、トルコからアレッポを救出、北の脅威をストップ。1179年今度はマルジュ・アユーンの戦いで、サラディンが十字軍を打ち破り講和した。
1180年、バグダードのカリフが旧ザンギー朝の領地でのサラディンの領主権を承認、サラディンは1182年に5000騎でカイロを出発し、北イラクのほとんどの領主を味方につけ、1183年、ついに交渉によってアレッポの開城に成功した。しかしモスルのみは、たび重なる包囲にも独立を続け、なお3年の期間をかけることとなった。
一方時間のなかったのは十字軍側である。ボードワンの死期が近づく。彼は姉のシビーユを結婚させてたが、夫はすぐ亡くなり、二度目の夫が悪名高いギー・ド・リュジニャン。ギーは摂政となるが、サラディンとの無謀な戦闘を行ってすぐ解任。先夫のわずか5歳の子をボードワン5世とした。1185年ボードワン4世が崩御。いよいよエルサレムの命運が尽きようとしていた。
下はボードワン4世突撃前の祈り
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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