ダマスカスを十字軍から救ったウナルは英雄となったが、これは神が彼に与えたもうたラストミッションだった。何せ寄る歳波である、翌年食事のあと赤痢でなくなった。そのあとに居るのは16歳のアバクという形だけの領主で、彼はまたエルサレムと同盟を組むことにした。
少し遡ると、ウナルは、アレッポのザンギーが死んだあと、すかさずバールベックを包囲したが、ここを守っていたのがサラディンの父アイユーブ、それに叔父シールクーフ、もちろんサラディン(ユースフ)本人も居た。彼らは町をウナルに明け渡したあと、アイユーブとサラディンはダマスカスへ、シールクーフは、アレッポに向かった。
1149年、ヌルーッディーンは、イナブの戦いで、アンティオキア軍を打ち破った。このときレイモン@アリエノールの叔父、を打ち取ったのがシールクーフと言われている。レイモンの首は銀の箱に入れてバグダードに送られ、アンティオキア公国は東の半分以上を失った。
ヌルーッディーンは、次にダマスカスへの攻撃と共に、街の市民に共に十字軍と戦おうというプロパガンダを行った。そして内部でそれに呼応したのが、アイユーブ。彼はヌルーッディーンの信任を得たシールクーフと連絡を取り合って、内部での工作をすすめた。5年後の1154年、ヌルーッディーンはダマスカスに最後の攻撃をかけ、アイユーブの一派が手引きして門を開けさせると、戦闘もなくダマスカスはヌルーッディーンのものとなった。彼はシリアのほとんどを制圧したのである。
下はヌルーッディーンがアンティオキアを破ったイナブの戦い
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント