1152年3月21日に離婚したアリエノールは、その2カ月後再婚していた、「こんなことアリエノール?」とルイ7が叫んだかは定かではない。2016年の日本でさえ、100日を越える女性の再婚禁止は憲法違反となったばかりだっつーのに、さすがおフランス先進国。さらにまあ結婚相手も10歳年下の19歳、ついでに自分の広大なアキテーヌ領をそっくりもってたのだから。
アンジュー伯アンリ・ド・プランタジュネ、彼とアリエノールとの初対面は、ノルマンディー公として臣下の礼をフランス王にとる席だったそうだ。アリエノールは逞しいアンリのバディと情熱的な性質に、祖父の理想の姿を見たのである。そしてアンリは1154年、イングランド王ヘンリー2世となった。
なんとなんとブリテン島の大部分とフランスの西半分以上の「アンジュー帝国」ができあがったのだ。ルイ7世も対抗して再婚を決めるわ、アリエノールと自分の2人の娘を嫁がせるわするが、後にイングランド含めて、アリエノールの子供を英仏あちこちに拡散することになり、彼女をして「ヨーロッパを生んだ女」と称されることになるのである。
アリエノールとヘンリーは情熱的なだけあって、さっそく2人の男子が誕生。長男は3歳で夭折したが、育った若ヘンリーは、ルイ7世が再婚した王妃との間で生まれた娘と婚約した。ヘンリーはフランスに関しては臣下となり、二人は表向き和解したかに見えた。しかし裏では、お互い領土を狙いあっていたのである。
下は2人のアンジュー帝国、右はヘンリーとアリエノール
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント