ルイ7世はやっとのことでアンティオキアに到着した。仏王は十字軍にかける思いがあった。1142年教皇が選んだブールジュの司教を拒否、それを匿ったシャンパーニュを攻撃して、教皇から破門。それをサンドニ大聖堂の建設と悔恨の日々を送ることで、ベルナールに赦してもらったのである。
アンティオキア公レイモンは、アリエノールの伯父だった。美男で風雅を極め、武勇の高いこの伯父に仏王妃は幼い頃ほのかな思いを抱いていた。レイモンは、領土防衛のためにザンギーのアレッポを攻めると主張、一方ルイは目的とするエルサレム行きを主張した。妻といえば伯父の肩をもった。
軍議の場でとうとう2人は決裂。そのとき妻というと自分の軍は伯父と一緒にアンティオキアに残ると言いだした。仏王はカンカンで強制的に連れて行くといえば、妻は自分達の結婚は近親結婚であり無効だったとまで言い切った。アリエノールはレイモンを見て完全に南仏女に戻ってしまった。決裂して別れたその夜、アリエノールは夫の部下に強制的に連れ出された。
翌48年、コンラート3世もエルサレムに到着し、攻撃はダマスカスと決まった。しかしダマスカスは現在同盟を組んでいる。当然アンティオキアやエルサレム以外のご当地軍はこの戦いに参加しないことになった。
下は仏王ルイ7世を迎えるアンティオキア公レイモン
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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