第2回十字軍1-ルイ6世オリフラムの勝利

ところで十字軍を送る西欧のほうはというと、叙任権闘争は今や過去、十字軍の成功で聖権が優位となった。ハインリヒ4世を退位させた息子5世も、教皇に破門され、諸侯の反乱に悩まされとうとう1122年にヴォルムス協約を結び、叙任権を事実上放棄した。しかし彼は子供なく崩御すると、ザーリア朝は断絶、諸侯のかけひきで、ズップリンブルク家のロタール2世が選出。しかし対立するホーエンシュタウフェン家が認めず内乱に陥る。そして1137年にロタール3世が崩御するとようやくホーエンシュタウフェン家のコンラート3世が即位した。お国の混乱を終息させるため、コンラートは教皇を味方につけようと第2回十字軍に参加する。

フランスでは1108年にルイ6世が即位。この王は「肥満王」の異名を持つが、若い頃は逞しい肉体派だったようだ。彼は王権の教化のために諸侯に戦争を挑み、勝ったり負けたりしながら徐々に王権の強化を行う。

そして折しもハインリヒ5世が侵入したとき、サン=ドニ大修道院長シュジュールの入れ知恵でサン=ドニの軍旗「オリフラム」のもとで諸侯を団結させて撃退したことで、おおいに威光を高めた。彼の御世で王権は上向きになり、息子ルイ7世と、南仏に広大な領地を持つアキテーヌの相続人、アリエノールと結婚させて、1137年に崩御した。これでフランス王権はいや増すはずだった。

オリフラムを掲げるルイ6世

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。