48年革命9-イタリア鎮圧ラデツキー行進曲

革命の火ぶたを切ったイタリアだが、そんなに簡単に事はすすまない。4月29日、イタリア統一の旗頭だったはずのピウス9世が、同じカトリックとの戦争は望まない、という声明を発表した。教皇はオーストリア皇帝にも平和を呼び掛けたが、この声明は共和主義者にブーイングされ、教皇は裏切者と罵られた。

またサルディーニャ王国は、住民投票でロンバルディアを併合したが、サルディーニャによって統一されるのに共和主義者も反対し、両シチリア王国のフェルディナンド2世も軍隊を撤退させてしまう。サルディーニャに反対する共和主義者は、フランスの介入を画策して分裂してしまうのだ。

そして7月24日、クストーザの戦いでサルディーニャはオーストリアに大敗を喫して、ミラノまで制圧される。この勝利はオーストリアの貴族達を活気づけ、ウィーンからインスブルックに避難していた皇帝フェルディナンド1世も8月12日に帰還する。そして8月31日に大勝利感謝祭が開催される。

その祝典の曲を書いたのは言うまでもなく、ヨハンシュトラウスであり、北イタリアを鎮圧した将軍を記念して行進曲は「ラデツキー行進曲」と呼ばれた。この曲によって、兵士や士官の士気はおおいに高揚し、貴族側の反撃が始まる。後に政府側からは「ウィーンを革命から救ったのはシュトラウスだ」と言われた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。