48年革命5-ウィーン3月革命宰相逃亡

フランス2月革命の報はすぐメッテルニヒに届いていたが、彼はウィーンには革命は起こらないと自信を持っていた。しかし29日にウィーンに届くや、銀行の取り付け騒ぎが起こった。さらにメッテルニヒ退陣を求めるビラが撒かれる、オーストリアは言論の自由や改革が遅れていたが、メッテルニヒのせいだと思われた。

3月3日ハンガリー議会で、議会権限拡大の演説があり、11日にプラハで自由拡大の大集会が開かれた。墺帝国の他民族性はこういうときアキレス腱となる。そして3月13日、ウィーンで学生の陳情デモが開かれた。このとき議会前で、フィッシャーホーフという学生が熱弁を奮い、皆が集まった。

群衆は大きくなり、さらに口々に叫ぶ。軍が動員されたが、イタリア警備隊が発砲して死者を出してしまった。労働者が反撃して市街戦が拡大、市民側の死者は50人にのぼった。今度は、城壁外の貧しい人が住む市外区で、商店が襲われ、火が立ち上った。市壁内を抑えられても外は抑えられない。

この機に、宮廷内のゾフィー大公妃をはじめとした反メッテルニヒ派が宰相の辞任を画策し、彼は辞任を余儀なくされた、もはや75歳だった。市内は騒然となり、メッテルニヒが危険となったため、国外に脱出し、一つの時代が終わった。皇帝は憲法を約束したが騒乱は止まらない。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。