カノッサの道10-マティルデの罠皇帝廃位に

「カノッサの屈辱」最終章。教皇が死んでもマティルデには教皇の弟子アンセルモが側に居た。マティルデは彼を恋人いやいや師とあおぎ、復讐いやいやキリスト教のために戦い、皇帝軍を陣頭指揮で打ち破る。アンセルモは死去するが、遺体を乗せていた台にヌードで横たわるとリフレッシュしたという。

教皇の死後も、ハインリヒは相変わらず反乱に悩まされた。彼が選んだ教皇クレメンス3世は、ローマ市民に認められず、対立教皇が立った。そして1088年クリニュー出身のウルバヌス2世が教皇となると、ますます流れは皇帝に不利となった。院長ユーグは完全にウルバヌスについた。

1093年、皇帝の息子コンラートがイタリア王になるために来ると、マチルデがカノッサに招待。そこで「アタシと組めば本当のイラリア王になれるわよん」と口説かれ、口車に乗って父を裏切る。後妻息子の側に。1098年、父皇帝は息子の王位を剥奪し、3男に与えたが、そのハインリヒ5世も父を裏切るのだ。

1105年、息子に廃位され、翌6年失意のうちに56歳でハインリヒ4世は亡くなった。クリニューのユーグは1109年、引退し自分の修道院で85歳の命を全うした。マティルデは70歳を越えて1115年に亡くなり、領地はすべて教皇に。1122年には、ヴォルムス協約で、グレゴリウスが追求した教皇の聖職者叙任権が承認され、1606年、グレゴリウス7世が列聖された。夏草や兵どもが夢の跡。さてカノッサの勝者は誰?

下はヴァチカンにあるマティルデの像左下は今日のカノッサ城遺跡

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。