キリスト教分裂5-おバカな事件で東西分裂

イタリア南部を占領したノルマンに対してヴァチカンも東ローマも戦いを挑む。ところが1053年教皇レオ9世が捕虜になり、そこで罹ったマラリアで翌年崩御する始末。そこで対ノルマン共同戦線を張ろうという話となった。

ところがその教皇特使として選ばれたのが、枢機卿フンベルトゥス@大のギリシア嫌い。コンスタンティノポリスでビザンティン総主教ケルラリオスと面会したが、教皇書簡なるものが、ビザンティンへの批判満載!実は自分で書いたらしい。さすがに同盟も話にならず、以後面会拒否となった。

しかしフンベルトゥスはあちこちでディベートをして火をつけてまわり、自分にも火をつけちゃって止まらなくなった。1054年7月1日、彼はハギア・ソフィアのミサに乗り込んで、何と総主教以下に勝手に破門状をつきつけた!この破門状たるやかなり誹謗中傷だらけ、「売り言葉に買い言葉」でビザンティンも7月20日教皇特使を破門する。

悪いことちょうど教皇レオ9世が亡くなって教皇空位期間だった。それまでも東欧をめぐる縄張り争いで両者の仲は悪かったがこれが分裂の決定打とされる。実際教会同士の破門ではなかったので1960年になかったことにされた。歴史上の対立というのは、おバカな事件で起こる。それは今も変わらないだろう。

下は対立する東西教会

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。